プラセボ効果とは?「楽になった」は変化の証拠にならない

医学文献の索引に使われている統制語彙は、プラセボ効果を「通常は有益だが、必ずしもそうとは限らない効果で、その方法が効くだろうという期待に帰せられるもの」と定義している。

先に書いておきたいことがある。楽になったという感覚そのものは、本物である。気のせいだと言いたいのではない。

ただし、それが体の状態が変わった証拠になるかどうかは、別の問題になる。

施術の現場では、体にそんなに変化が見られていないのに「楽になりました」と言われることが、多々ある。

だから私は、検査をやめない。そして、1回では決めない。

なぜ起きるのかについては、確かめられていない部分が大きい。そこも正直に書く。

柔道整復師・あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師の4つの国家資格を持ち、12年のあいだ臨床に立ってきた施術者として、この記事では「楽になった」という言葉を何として扱うかを書いていく。公的な定義、診療室で起きていること、4本の報告、そして自分が検査をやめないでいる理由の順に進む。

目次

プラセボ効果とは、何を指す言葉か

「プラセボ効果」は、もともと医薬品の効果を調べる場面で使われてきた言葉だ。「プラシーボ」と書かれることもあるが、本記事では「プラセボ」で通す。

米国国立医学図書館が医学文献の索引に用いている統制語彙(MeSH)は、プラセボ効果をこう定義している。

An effect usually, but not necessarily, beneficial that is attributable to an expectation that the regimen will have an effect, i.e., the effect is due to the power of suggestion.

訳=通常は有益だが、必ずしもそうとは限らない効果で、その方法が効くだろうという期待に帰せられるもの。すなわち、暗示の力によるもの。

読み飛ばしてほしくない一句がある。`usually, but not necessarily`——通常は有益だが、必ずしもそうとは限らない。定義そのものに、留保が入っている。 ここは記事の終わりでもう一度使う。

そして、この定義には、そのまま借りられない事情がある。

この定義は、医薬品や医療の場面を想定して書かれている。本記事はそれを、施術の場で起きることを呼ぶために借りている。定義がそのまま当てはまると言っているのではない。

借りたときに、確かに残るものが一つある。「その方法が効くだろうという期待に帰せられる」という部分だ。期待は、施術の場にもある。手を当てられ、時間をかけて話を聞かれ、これで良くなるだろうと思う——そこまでは、同じ形で起きる。

だから、この記事が扱う範囲を先に狭めておく。扱うのは、施術の場で「楽になりました」と言われるときの話に限る。医薬品の効果については扱わない。飲んでいる薬をどうするかの判断材料にもならない。そこは私の領分ではない。

もう一つ、古い前提をここに置いておく。あとで扱う2025年の報告は、冒頭にこう書いている。

Traditionally, it was believed that deception was necessary for placebos to work.

訳=効くためには、だますことが必要だと考えられてきた。

「考えられてきた」と過去形で書かれているのは、そこが揺れているからだ。何がどう揺れたのかは、後の章で扱う。

そして、この記事が立っている場所をはっきりさせておきたい。カイロプラクティックの効果について書いた記事で、私はこう書いた(カイロプラクティックは効果ない?4回で方針を変える理由)。

偽の手技との比較が、なぜ要るのか。手を当てられ、時間をかけて体を見てもらう——それ自体が、人に影響を与えるからだ。手技そのものの効果を取り出すには、その分を差し引かなければならない。

この記事は、その「その分」を正面から見る記事だ。

診療室では、何が起きているか

施術のあと、こう言われることがある。「楽になりました」。

うれしい言葉だ。声に出しては「よかったです」と答える。そのうえで、同時に別のことを考えている。

体にそんなに変化が見られていないのに、「楽になりました」と言われることは多々ありますよ。

「多々ある」。まれに起きる珍しいことではない、ということだ。

では、どちらが正しいのか。本人の感覚が間違っているのか、それとも私の見方が粗いのか。——この章は、そこに答えない。答えられるのは、その二つは別の情報である、というところまでだ。

部屋の話に置き換えると分かりやすい。「寒い」と感じることと、温度計が指している数字は、別の情報になる。寒いと感じた人が嘘をついているわけではないし、温度計のほうが人の感覚より偉いわけでもない。二つは別のことを測っている。そして両方を見ないと、上着を着るべきなのか、暖房を直すべきなのかが決まらない。

体の側については、こうしている。

それは検査をして確かめます。本当に体が変わってるかどうかっていうのは、僕が検査しないとわかりません。
ただ、気持ちの問題で変化が起こることはあると思います。

この2文は、切り離すと意味が変わってしまう。気持ちで変化が起こることを、私は否定していない。

検査といっても、機械にかけるわけではない。前と同じ手順で体を見て、前と比べる、というだけのことだ。同じ手順で見るから、比べられる。

そのうえで、この章でいちばん書いておきたいのはここになる。

本人の感覚だけでは、体が変わったところまでは分からない。そして私の検査だけでも、楽になったかどうかは分からない。別々のことを見ているので、両方要る。

片方だけを持っている人はいない。受けている人は自分の感覚を持っていて、それは私には直接見えない。私は検査の所見を持っていて、それは受けている人には見えない。だから施術の場では、毎回その二つを突き合わせることになる。

念のため書いておくが、言葉を疑う話をしているのではない。「楽になりました」と言われた日は、こちらもうれしい。うれしいからこそ、そこで止まると、自分が何をしたのかが分からないまま終わってしまう。

そして、この「自己申告のほうは動いたのに、測ったほうは動かない」という分かれ方は、私の診療室の中だけで起きていることではなかった。

同じ分かれ方が、研究でも報告されている

慢性の筋骨格系の痛みを対象に、オープンラベルプラセボについての報告が2025年に出ている。オープンラベルプラセボとは、これはプラセボですと隠さずに伝えたうえで渡す方法のことだ。この報告は1,775件の論文を当たり、条件に合う7件のランダム化比較試験(くじ引きのように振り分けて比べる試験)を選んで、703人分の結果を集めている。内訳は、腰痛が5件、膝の痛みが2件だった。

結果は、二つに分かれていた。

まず、客観的な身体機能テストでは、効果が見られなかった。この所見の確実性は、中程度とされている。

一方、自己申告による指標では、効果があったとされた。指標は二つある。自己申告による身体機能については、ごく小さいものから中程度(SMD 0.40、95%信頼区間 0.19〜0.60)。痛みの強さについては、小さいものから中程度(SMD 0.46、95%信頼区間 0.28〜0.63)。比べた相手は、ふだん行われている対応、または何もしない場合である。ただし、この所見の確実性は低いとされている。

SMD(標準化平均差)は、ばらつきで割った差の大きさで、割合ではない。「◯%良くなった」「◯割の人が良くなった」に読み替えられる数字ではない。

ここが、この報告のいちばん大事な形になる。

「効果がなかった」と言っている側のほうが、証拠は強い。「効果があった」と言っている側は、証拠が弱い。

数字が付いているほうが強く見える。だが、この報告では逆になっている。

理由は書かれている。7件すべてで、自己申告の指標にはバイアスの高いリスクがあった。その理由が、受けている人が、それがプラセボだと知っていることだった。

そして、この弱さは設計の外に出せない。知らせて渡すのがオープンラベルプラセボだからだ。隠せば弱点は消えるが、そのときにはもう、オープンラベルプラセボではない。

報告自身の結びは、こうなっている。

These results suggest that OLP may enhance PROMs in chronic musculoskeletal pain patients, but one should keep in mind that the clinical value of OLP is not yet established.

訳=これらの結果は、オープンラベルプラセボが慢性の筋骨格系の痛みを持つ人の患者報告アウトカム(受けている人自身が答える指標)を高めるかもしれないことを示しているが、オープンラベルプラセボの臨床的な価値はまだ確立されていないことを念頭に置くべきである。

`may enhance`(高めるかもしれない)であって、高める、ではない。そして`not yet established`(まだ確立されていない)と、報告の側が自分で書いている。

追跡された期間は3〜12週で、3年のものが1件だけあった。だから、長期的にどうなるかは、この報告からは言えない。

なお、第1著者の所属には、カロリンスカ研究所と並んで Scandinavian College of Chiropractic の名が入っている。徒手療法の側の研究者が、自分たちの領域の痛みで調べた報告である。

並べて書いたが、同じものを測ったわけではない。論文が測った客観的な身体機能テストと、私が行う検査は別のものだ。私の臨床は研究ではないし、7件の試験を自分の診療室で確かめたわけでもない。それでも、分かれ方の形は似ている。——そこまでが、私に言えることになる。

だまさずに渡しても起きる、という報告がある

オープンラベルプラセボについては、もう一つ、2023年のネットワークメタ解析がある。実際に症状のある人たち(臨床集団)と、臨床の患者ではない人たち(非臨床集団)を比べた解析で、直接比べられていない組み合わせも、比較の網をつないで推定する方法が使われている。なお、非臨床集団というのは、健康だと確かめられた人たちという意味ではない。

ここで、前に置いた古い前提を回収する。効くためには、だますことが必要だと考えられてきた——その前提のほうが動いた。この解析は、何もしない場合と比べて、オープンラベルプラセボは有益でありうる(`could be beneficial`)と報告している。「有益である」ではない。`could`が付いている。

そして、効くために重要だとされたものが、一つ挙げられている。

Positive treatment expectations were found to be important for OLPs to work.

訳=治療に対する肯定的な期待が、オープンラベルプラセボが働くために重要だとされた。

もう一つ、効果は非臨床集団より臨床集団のほうが大きかったとされている。臨床の患者ではない人たちを集めた研究より、実際に症状のある人たちのほうで大きかった、ということになる。

ここで、先の定義を思い出しておきたい。定義は「その方法が効くだろうという期待に帰せられる」と書いていた。この解析も、期待のほうを指している。定義も、報告も、期待のほうを指している。 言えるのは、そこまでだ。期待が原因だと確かめた、という話ではない。

では、期待は体に何をしているのか。ここから先は、論文の話ではなくなる。段落を切って書く。

体に変化が出るまでは時間がかかる場合もあります。気持ちが変わることで体が楽に感じられると、脳がそう錯覚することによって新しい刺激も入り、脳が体を治す方向へと導いてくれる可能性もありますので。

ここは私の見立てである。この仕組みを裏づける研究を、本記事では確認できていない。

同じ仕組みで、悪いほうにも動く

ここまでは、良いほうに動く話だった。だが、同じ枠の中に、悪いほうに動く話が入っている。

米国国立医学図書館の統制語彙では、ノセボ効果は、プラセボ効果の下位に置かれている。これは分類の話であって、現象の実体についての決定ではない。言えるのは、索引の側がそこに置いている、というところまでだ。

定義はこうなっている。

An adverse effect occurring with a medical treatment that is not attributable to the actions of the treatment.

訳=医療において生じる望ましくない効果のうち、その医療の作用によるものではないもの。

この定義も、やはり医療の枠で書かれている。さきほどと同じく、借りて使うことになる。

中身の説明には、2024年に出たノセボについての総説を使う。ランダム化比較試験ではなく、知見をまとめた論文である。その総説は、ノセボ効果の引き金として、次のものを挙げている。

Nocebo effects can be triggered by verbal suggestions, prior negative experiences, observation of others experiencing negative outcomes, and other contextual and environmental factors.

訳=ノセボ効果は、言葉による示唆、過去の良くない経験、他の人が良くない結果を経験するのを見ること、その他の状況や環境の要因によって引き起こされることがある。

同じ総説は、ノセボについてはプラセボほど知られていない、とも書いている。

一つ、語が重なっている。良いほうの定義にある「暗示の力」(`the power of suggestion`)と、悪いほうの引き金にある「言葉による示唆」(`verbal suggestions`)が、同じ語だ。ただし、語が同じことと、仕組みが同じことは別である。

そのうえで、この章がこの記事にとって何なのかを書いておく。

期待で良くなることがあるなら、同じ仕組みで悪くもなる。そして引き金に「言葉による示唆」が挙がっている。ということは、施術者が何を言うかは、外から加える情報ではなく、結果のほうに混ざるものだということになる。

自分の言葉が結果に混ざるなら、自分の言葉以外で確かめる手段が要る。

だからこの章は、対比のために持ってきた飾りではない。検査が要る理由が、ここから出てくる。

一つ断っておく。だから不安になるようなことは言わないほうがいい、という話ではない。 言葉が体験に入りうるからといって、リスクの説明を控える理由には、これはならない。書けるのは、言葉が体験に入りうる、というところまでだ。何を言うべきかまでは、この記事では決めない。

こんなときは、医療機関へ

楽になったと感じても、次のような場合は、様子を見ずに医療機関へ相談してほしい。

  • 安静にしていても続く痛み、夜間に強くなる痛み
  • 発熱、体重が減る、食欲が落ちるなどが一緒にある
  • 手足の力が入らない、感覚が鈍い、それが進んでいる
  • 排尿・排便に異常がある
  • けがのあと、または以前に大きな病気をしたことがある

この章は、取ってつけではない。感覚だけでは体の状態は分からない、とここまで書いてきた。ということは、感覚が良くなったことを理由に受診を先送りすると、いちばん確かめたいものを確かめ損なうことになる。

「楽になった気がする」は、受診しなくていい理由にはならない。

鍼では「偽の鍼」を作るのが難しい

ここから先は、確かめる側の事情に入る。

鍼と灸で免許が二つあることは、別に書いた(鍼灸の読み方は「しんきゅう」?免許が2つある理由)。その記事で、鍼についてこう書いた。

指している操作を、はっきり分けて書ける。

はっきり分けて書けるなら、効くかどうかも確かめられるはずだ。ところが、そこで問題が起きる。その鍼を、何と比べるのか。

慢性の非特異的な腰痛を対象に、10件のランダム化比較試験・4,379人を集めたネットワークメタ解析が、2023年に出ている。調べたのは鍼の効果そのものではない。比べる相手として置かれた「偽の鍼」が、どこに刺されていたかだった。さきほど見た報告も、その中心は腰痛だった。

偽の鍼は、2種類に分けられていた。

  • 同じツボに刺す偽鍼(原文では sham acupuncture therapy (verum)、SATV)
  • 別の点に刺す偽鍼(原文では sham acupuncture therapy (sham)、SATS)

後者の「別の点」は、原文では`nonindicated points`と書かれている。「ツボではない場所」ではなく、その症状の適応とされていない点という意味で、ツボであっても含まれる。

結果は、こうだった。

  • 鍼は、別の点に刺す偽鍼と比べると、痛みでも機能でも差が見られた
  • ところが、同じツボに刺す偽鍼とは、差が見られなかった
  • そして、同じツボに刺す偽鍼は、別の点に刺す偽鍼より良い結果だった

確実性は、中程度から低いとされている。強い証拠ではない。

ここを「鍼は偽鍼と差がなかった、つまり効かない」と読むと、報告の向きが逆になる。結論は、こう書かれている。

In this NMA, sham acupuncture needling at the same points as those in acupuncture was not a true placebo control for assessing the efficacy of acupuncture for CLBP and might underestimate the outcome of acupuncture in clinical settings.

訳=このネットワークメタ解析では、鍼と同じ点に刺す偽鍼は、慢性非特異的腰痛に対する鍼の有効性を評価するための本当のプラセボ対照になっておらず、臨床の場での鍼の結果を過小評価しているかもしれない。

`might`(かもしれない)である。過小評価している、と決まったわけではない。

そして、これは鍼の話であって、鍼だけの話ではない。

偽のものを用意して差を引く、という確かめ方そのものが、成り立ちにくい領域がある。 手を当てられること、時間をかけて体を見られること——それを差し引いた「本物だけ」を取り出すのが難しい。この記事の最初に引いた「その分を差し引かなければならない」という一文は、この難しさのことだった。差し引く先に置いた偽物が、本物の一部を含んでしまう。

私は、はり師・きゅう師の免許を持っている。だからこの報告は、他人の領域の話ではなく、自分がやっていることに向けられた話として読んだ。自分の手が出した結果のうち、どこまでが刺した場所によるもので、どこからが刺されるという経験によるものなのか——それを切り分ける方法を、私は持っていない。

だから、検査をやめない

プラセボは、悪いことだとは思っていない

先に、この記事にかかる疑いを自分で書く。

施術者が「プラセボはいいことだ」と言うのは、都合のいい話である。そう言えれば、自分の施術が本当に効いていたのかを確かめなくて済む立場に立てる。その疑いは、正しい。

そのうえで書く。私は、こう考えている。

それはやはり気持ち的にも、話して楽になるとか、色々な「楽になる」があると思いますし、プラセボ自体はいいことだと思います。

定義の側が、最初から「必ずしもそうとは限らない」と書いていた。手放しで良いものだとは、定義も言っていない。

そして、いいことだと思っているからこそ、それが起きたのかどうかを知りたくなる。良いものだから確かめなくていい、という順番にはならない。

では、良いと思えるものと、そうでないものは、どこで分かれるのか。

分かれ目は、錯覚かどうかではない。その気持ちよさを作るために、体に何をしたかだ。

首を鳴らすことについて書いた記事で、私はこう書いていた(首をボキボキ鳴らすのはなぜ気持ちいい?音は目的ではない)。

気持ちよさは本物だ。錯覚だから無意味だ、と言いたいのではない。ただ、それは「関節が整った証拠」ではない。

あの記事で止めたのは、錯覚そのものではない。「戻るから鳴らすというよりは、鳴るまで無理にひねってしまう、ということだ」と書いた。音を出すために体に無理をさせること、そこを止めた。話して楽になることは、体に無理をさせていない。だから、悪いことだとは思っていない。

ただし、良いほうにだけ動くわけではなかった。こちらの言葉は、良いほうにも悪いほうにも混ざる。

気持ちで動いたものと、検査で確かめられるもの

混ざるものがあると分かっていて、どうやって施術を続けるのか。

最初からプラセボを期待して施術をするわけではないので、検査をしてしっかりと客観的評価の見立てを立てた上で施術をすることが、体の経過を追うことになる。

私は、複数回の施術を基本としている。

複数回にわたって経過を追うなら、気持ちのほうで動いたものと、検査で確かめられるものを、分けておかないと続けられない。分けていないと、次に何をするかが決まらないからだ。

だから私は、検査をやめない。

次に会ったとき、私の手元に残っているのは前回の言葉ではなく、前回取った所見だ。所見を取っていなければ、次の回は前の回とつながらない。同じ日をもう一度やるだけになる。分けておくというのは、そういう意味だ。

一つ、向きを間違えないようにしたい。

検査は、受けている人の言葉を疑うための道具ではない。自分の手が出した結論を疑うための道具だ。

「楽になりました」と言われた日に、検査の所見が動いていなかったとする。そのとき疑われているのは、相手の感覚ではない。私の見立てのほうだ。

確かめ終えるのに自分で期限を切っている、という話は別に書いた(カイロプラクティックは効果ない?4回で方針を変える理由)。その記事にも書いたが、4回は変化が出る回数ではない。こちらが確かめ終える回数であり、何回で楽になるかは、症状によっても、その人によっても変わる。本記事は、回数の基準を出す記事ではない。

そして、ここまで書いてきたことは、私自身の施術にも同じように向いている。私の手で楽になったと言われた日も、それがプラセボだったのかどうかは、私には分からない。分からないまま、次の回に検査をして比べる。それ以外の方法を、私は持っていない。

プラセボが起きることを、私は困ったこととは思っていない。困るのは、起きたのかどうかを確かめないまま続けることだ。

まとめ

楽になったという感覚は、本物である。ただし、それが体が変わった証拠になるかどうかは、別の問題だった。

慢性の筋骨格系の痛みでは、客観的な身体機能テストでは効果が見られず(中程度の確実性)、自己申告では効果があったとされた(低い確実性)。報告自身が、臨床的な価値はまだ確立されていないと書いている。鍼では、比べるための「偽の鍼」を作ること自体が難しいという報告があった。

臨床の側は、検査で確かめ、複数回にわたって経過を追う。そこを分けておかないと、次に何をするかが決まらない。

感覚では決められないから、検査で確かめる——と書いた。ただ、そう書いたぶんだけ、次の問いが自分に返ってくる。その検査は、どれだけ確かなのか。同じ人の体を別の施術者が見たら、同じ所見が出るのか。私はここで答えを持っていない。持っていないまま、毎日その手を使っている。ここから先は、確かめる側の手の話になる。

よくある質問(FAQ)

Q. プラセボ効果とは、気のせいということですか?

A. 「気のせい」という言葉では、うまく届きません。楽になったという感覚そのものは本物です。別の問題なのは、それが体の状態が変わった証拠になるかどうかのほうです。統制語彙の定義も「通常は有益だが、必ずしもそうとは限らない」と、留保つきで書かれています。この記事は、その区別についての話です。

Q. だまされないと、プラセボ効果は起きないのですか?

A. だますことが必要だと考えられてきましたが、そこが揺れています。プラセボであることを伝えたうえで渡す方法(オープンラベルプラセボ)でも、何もしない場合と比べて有益でありうると報告されています。ただし、慢性の筋骨格系の痛みを対象にした2025年の報告は、臨床的な価値はまだ確立されていないとも書いています。

Q. 施術で楽になったのは、プラセボだったということですか?

A. 私には決められません。どちらだったのかを決める方法が、1回の施術の中にはないからです。だから検査で体の側を確かめ、複数回にわたって経過を追います。プラセボが起きること自体を、私は悪いこととは思っていません。困るのは、起きたのかどうかを確かめないまま続けることです。

Q. 鍼は偽の鍼と差が無いと聞きました。効かないということですか?

A. そう読むと、報告の向きが逆になります。2023年の報告は、鍼と同じ点に刺す偽鍼は本当のプラセボ対照になっておらず、臨床の場での鍼の結果を過小評価しているかもしれない、と述べています。「効かない」ではなく「比べ方が成り立っていない」という指摘です。確実性は、中程度から低いとされています。

Q. 「効いていますよ」と言われたほうが、良くなるのですか?

A. 言葉が体験に入りうることは、悪いほうについても報告されています。ノセボ効果の引き金に「言葉による示唆」が挙げられています。だから私は、自分の言葉で結果を決めないようにしています。ただし、これはリスクの説明を控える理由にはなりません。

本記事の位置づけ

本記事は、施術の場で「楽になった」と言われるときの判断の材料についての記述であり、医薬品の効果についての記述ではありません。処方された薬の服用について判断する材料にはなりません。

本文で紹介した報告は、それぞれ慢性の筋骨格系の痛み、または慢性の非特異的な腰痛を対象としたものであり、他の症状・他の領域に一般化できるものではありません。紹介した報告のうち、オープンラベルプラセボについての2025年の報告は、その臨床的な価値はまだ確立されていないと論文自身が述べています。偽鍼についての2023年の報告は、鍼が効くかどうかを述べたものではなく、比較の対照の置き方についての報告です。

本文の「検査で確かめる」「複数回にわたって経過を追う」は執筆者自身の臨床での方針であり、効果を保証するものでも、他の施術者がとるべき基準を示すものでもありません。

「脳が体を治す方向へ導いてくれる可能性」は執筆者の見立てであり、それを裏づける研究は本記事では確認していません。

本記事は、特定の施術によって症状が改善することを保証するものではなく、医療行為に代わるものでもありません。症状の判断や受診の判断が必要な場合は、医療機関にご相談ください。

情報は執筆時点(2026年9月30日確認)のものです。

参考文献・出典

  • Borg F, Gedin F, Franzén E, Grooten WJA. A systematic review and meta analysis of open label placebo effects in chronic musculoskeletal pain. Sci Rep. 2025;15(1):24007. PMID: 40617928
  • Lee B, Kwon CY, Lee HW, et al. Needling Point Location Used in Sham Acupuncture for Chronic Nonspecific Low Back Pain: A Systematic Review and Network Meta-Analysis. JAMA Netw Open. 2023;6(9):e2332452. PMID: 37672270
  • Buergler S, Sezer D, Gaab J, Locher C. The roles of expectation, comparator, administration route, and population in open-label placebo effects: a network meta-analysis. Sci Rep. 2023;13(1):11827. PMID: 37481686
  • Colloca L. The Nocebo Effect. Annu Rev Pharmacol Toxicol. 2024;64:171-190. PMID: 37585661

用語の定義

  • National Library of Medicine. Medical Subject Headings (MeSH). Placebo Effect (D015990) / Nocebo Effect (D064786).

執筆者

山﨑駿(やまざき しゅん)

あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師・柔道整復師(すべて国家資格)/Doctor of Chiropractic(D.C.、Tokyo College of Chiropractic・CCEA認可課程)/オステオパシー(D.O.課程)専攻中。臨床歴12年、のべ数万人の身体に向き合ってきた施術者です。

【学歴】日本工学院八王子専門学校 柔道整復科 卒業/東京呉竹医療専門学校 鍼灸あん摩マッサージ指圧科 卒業/東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(旧RMITカイロプラクティック学科日本校)卒業/日本福祉大学 通信教育部 福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科 卒業/スティル・ジャパン・アカデミー(オステオパシー専門教育)在学中。

保有資格の詳細は運営者プロフィールをご覧ください。

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