カイロプラクティックは効果ない?4回で方針を変える理由

四つ重ねて描かれた背骨の解剖図と、四つ目に触れる指先の水彩イラスト

「効果がない」かどうかを決めるのは、通った回数ではない。確かめ方だ。

この言葉で検索した人が本当に困っているのは、白黒の判定ではないと思う。困っているのは、やめどきをどう決めればいいのかが分からないことのほうだ。

前回の記事の最後に、徒手療法にはどこまで根拠があるのか——二度先送りにしてきたこの問いを次に扱う、と書いた(オステオパシーとは?なぜ「怪しい」と言われるのか)。これが、その記事になる。

先に断っておくと、この記事は「効きます」とも「効きません」とも書かない。どちらも、ひとまとめに言える種類の話ではないからだ。

まず、「効果ない」という一語に二つの問いが混ざっていることを分ける。次に研究の側を、その次に目の前の一人の側を見る。そして最後に、確かめている手そのものが揺れる、という話を書く。

目次

「効果ない」には、二つの問いが混ざっている

「カイロプラクティックは効果ない」と打ち込むとき、そこには性質のまったく違う二つの問いが入っている。

一つ目は、カイロプラクティックという療法そのものに、どこまで根拠があるのかという問いだ。これは研究が答える。多くの人を集めて比べ、平均としてどうだったかを見る。

二つ目は、いま自分が受けているこの施術は、自分に効いているのかという問いになる。これは臨床が答える。目の前の一人について、前と後で何が変わったかを見る。

| | 問い①:療法に根拠はあるのか | 問い②:自分に効いているのか |

|—|—|—|

| 答えるもの | 研究 | 臨床 |

| 見ている対象 | 集団の平均 | 目の前の一人 |

| 確かめる道具 | 比較試験、複数研究の統合 | 施術の前後で取る検査所見 |

| 答えが使える範囲 | その療法と、その症状について | その人の、その時点について |

この二つは、答えの出し方が違う。だから混ぜると、どちらの答えも返ってこなくなる。

研究の答えは、個人の疑問を解かない。ある療法が集団の平均として差を出したとしても、それは「あなたに効く」という意味にはならない。平均の中には、よく変わった人も、まったく変わらなかった人も一緒に入っているからだ。

逆も同じだ。個人の体験は、療法全体の評価にはならない。3回受けて何も変わらなかったとしても、そこから「この療法には根拠が無い」という結論は出てこない。一人の結果から言えるのは、一人分のことだけになる。

検索して出てくる記事が噛み合わないのは、おそらくここが原因だ。「効果はあります」と書いてある記事は研究の話をしていて、「効きませんでした」と書いてある記事は個人の話をしている。両方読んでも、自分の疑問には届かない。

だから、この記事では分けて答える。

カイロプラクティックの研究は、領域ごとに答えが違う

「カイロプラクティックは効果があるのか」に一言で答えられないのは、態度を保留しているからではない。領域によって、確かめられている度合いがまるで違うからだ。ここでは、原典まで辿れたものだけを挙げる。

腰痛については「他の治療と同程度」と報告されている

カイロプラクティックの手技について、もっとも研究が積み上がっているのは腰痛だ。逆に言えば、ここ以外の領域には、これほどの蓄積が無い。まずは、いちばん確かめられている場所から見ていく。

2019年に BMJ に掲載された Rubinstein らの報告がある。システマティックレビュー・メタアナリシス(同じ問いを扱った複数の研究を集め、統合して分析した研究)という形式で、ランダム化比較試験(参加者をくじ引きのように振り分けて、条件をそろえて比べる試験)47件、参加者9,211名を統合したものだ。対象は脊椎マニピュレーション(SMT。背骨に対して行う徒手的な操作)——カイロプラクターが行う手技そのものになる。

結果はこうだ。慢性の腰痛について、中等度の質のエビデンス(研究の確からしさを段階で表したときの、上から二段目にあたる評価)で、この手技は推奨されている他の治療法と同程度の効果だった。

読み違えないでほしい。「同程度」であって、「優れている」ではない。他の選択肢と並んだ、という報告になる。

推奨されていない治療と比べた場合はどうか。痛みの改善は小さく、臨床的に優れているとは言えないとされている。しかもこの比較は、質の高いエビデンスに基づいている。一方、機能のほうは短期的には改善していた。

そして、いちばん確かめられていないのが、偽の手技との比較になる。論文は、この比較についてはエビデンスの質が低い、ないし非常に低いとしたうえで、したがって効果は不確実と考えるべきである、と述べている。

偽の手技との比較が、なぜ要るのか。手を当てられ、時間をかけて体を見てもらう——それ自体が、人に影響を与えるからだ。手技そのものの効果を取り出すには、その分を差し引かなければならない。そのために、受ける側には本物と見分けのつかない偽の手技を用意して、比べる。

そして、そこがいちばん確かめられていない。いちばん研究が積み上がっている領域で、確かめ方がいちばん弱いのが、まさにここになる。

これは「効きます」でも「効きません」でもない。もっとも蓄積のある領域ですら、この解像度だ、という話になる。そしてこれは腰痛についての報告であって、肩こりにも、頭痛にも、その他の症状にも持ち込めない。

頭の骨の触診は、施術者どうしで一致しない

同じ徒手療法の中に、まったく逆の結果が出ている領域がある。

2001年に Journal of Manipulative and Physiological Therapeutics に掲載された Moran と Gibbons の研究は、登録された2名のオステオパスが、健常な11名の頭部と仙骨に同時に触れ、互いの結果を知らされない条件で、触知したリズムの速さを記録したものだ。

結果は、同じ人が繰り返し触ったときの一致(検者内信頼性)が fair to good、すなわち「まずまずから良好」。ところが、2人のあいだの一致(検者間信頼性)は poor to nonexistent、すなわち「乏しい、あるいは存在しない」だった。頭部と仙骨で触知された速さにも有意な差があり、著者らは、頭と仙骨が連動して動くとする仮説を支持しないと結論している。

この研究は、前回の記事でも引いた(オステオパシーとは?なぜ「怪しい」と言われるのか)。あのとき私は、これを自分に不利な報告として、自分から引いた。

腰痛と、頭の骨の触診。どちらも「手で行う施術」と呼ばれている。それでも、確かめられている度合いはここまで違う。一言でまとめようとすると、この差が消えてしまう。

効くとしても、なぜ効くのかは分かっていない

三つ目の領域は、仕組みの話になる。

2002年に Spine Journal に掲載された Pickar の総説は、その脊椎マニピュレーションの生物学的な機序は、まだ分かっていない(are not known)と明言している。私が代弁しているのではない。論文自身がそう書いている。

考えられている筋道としては、力学的な変化が、中枢神経系への感覚情報の流れを介して生理的な影響を持つ、というものが挙げられている。この論文が明示的に述べているのは、筋紡錘(きんぼうすい。筋の伸び具合を感じ取る受容器)とゴルジ腱器官(けんきかん。腱にかかる張力を感じ取る受容器)からの求心性線維が、操作によって刺激されるという点だ。より細い感覚線維も活性化される可能性はあるが、直接示されてはいないとされている。

施術のときに鳴るあの音についても、2015年のリアルタイムMRIによる研究(Kawchuk ら)と2018年のレビュー(Rizvi ら)を合わせて読むと、発生の仕組みはまだ確定していない、というのが現状になる。

ここで、二つの問いを混ぜないでほしい。効くかどうかと、なぜ効くかは別の問いだ。仕組みが分かっていないことは、効かないことの証明にはならない。だが同時に、仕組みを言い切って説明することの根拠にもならない。

行政も「定まっていない」と書いていた

同じ問いに、日本の行政も触れている。

厚生省健康政策局医事課長が平成3年(1991年)6月28日に出した通知「医業類似行為に対する取扱いについて」(医事第五八号)は、もとになった研究会の報告書について、こう述べている。

今般、同研究会より別添のとおり報告書がとりまとめられたが、同報告においては、カイロプラクティック療法の医学的効果についての科学的評価は未だ定まっておらず、今後とも検討が必要であるとの認識を示す一方で、同療法による事故を未然に防止するために必要な事項を指摘している。

読み方に注意が要る。「科学的評価は未だ定まっておらず」は、通知が自分の判断として断じた文ではない。研究会の報告書が示した認識を、通知が紹介している——という構造になっている。

この通知については、前の記事でスラスト法と禁忌対象疾患に関する条文を引いた(首をボキボキ鳴らすのはなぜ気持ちいい?音は目的ではない)。あのとき、この一文だけは「今も宿題として残っている」と書いて、そのまま置いた。ここで引き取っておく。

35年前の時点で、定まっていないと書かれていた。そして、上で見たとおり、いまも領域ごとに答えが違う。

つまり「効く/効かない」で答えられないのは、私が判断から逃げているからではない。領域ごとに確かめられ方が違う、という事実がそうさせている。

効いているかは、検査所見で確かめる

ここからが、二つ目の問いになる。目の前の一人について、効いているかどうかをどう確かめるのか。

起点は、本人の感覚ではない

私が「効いていない」と判断するのは、検査所見からだ。

本人の訴えからではない。ここは、はっきり書いておきたい。

理由は単純で、感覚は動くからだ。痛みの感じ方は、その日の睡眠や、気温や、気分で上下する。良くなった気がしている日に検査所見が動いていないこともあるし、その逆もある。

そして、感覚だけを起点にすると、判断が「効いた気がする」と「効いていない気がする」の押し合いになる。押し合いになったとき、強く言える側が通ってしまう。それは、確かめたことにならない。

誤解のないように書いておくと、本人の感覚が要らないという意味ではまったくない。楽になることは目的そのものだ。ただ、目的と、途中経過を測る道具は別でいい、という話になる。

検査所見というのは、関節の動く範囲や動きの質、筋の張り具合、押したときの反応、姿勢や動作の左右差といった、施術の前後で同じ手順をなぞれば同じように見られるものを指す。同じ手順で二度見るから、差が出る。

この流れは、前の記事で一度書いている。しっかりと検査をして、調整をして、再検査をする。この流れが非常に大事になる、と(首をボキボキ鳴らすのはなぜ気持ちいい?音は目的ではない)。

あのときの再検査が、ここで効いてくる。再検査は、その日の施術が当たったかどうかを見るためだけのものではない。何回か重ねたあとに「効いているのか、いないのか」を言うための記録になる。

だから「効いていない」と言えるのは施術者の側だ

ここから、少し立場の悪い話を書く。

前後を同じ手順で見ていなければ、変わったのか変わっていないのかを示すものが手元に残らない。残らなければ、効いたとも効かなかったとも言えない。一般原則として、効果について語れるのは、前後を同じ手順で見た人だけになる。

これは、施術者にとって都合のいい原則ではない。むしろ逆だ。再検査は、自分がやったことが当たっていなかった、という結果を毎回突きつけてくる装置でもある。見なければ、突きつけられずに済む。楽をしようと思えば、いくらでも楽ができてしまう工程でもある。

だから私は、「効果を確かめる責任は、受けている人ではなく施術者の側にある」と考えている。楽になったかどうかを判定する仕事を、受けている側に預けてはいけない。預けた瞬間に、話は感覚の押し合いに戻ってしまうからだ。

もう一つ、前後を測っておくことには実務的な意味がある。記録が残るからだ。動かなかったという記録は、次に何をするかを決める材料になるし、医療機関の受診をすすめるときに、こちらが何を見てそう判断したのかを説明する材料にもなる。「なんとなく良くならないので」では、受け取る側も困る。

ここで、二つ目の問いが一つ目の問いと形の上で似てくることに気づくと思う。研究は、集団について前後を比べる。臨床は、一人について前後を比べる。見ている対象の大きさは違うが、確かめ方の骨格は同じだ。前と後を、同じ物差しで測る。それだけのことをやっているかどうかで、効果を語れるかどうかが決まる。

受けている側からできることもある。「前と比べて、何がどう変わりましたか」と聞いてみることだ。答えが返ってくるなら、その人は前後を見ている。

実際に、こういう言葉をかけている

検査所見に変化が見られなかったとき、私が実際に口に出しているのは、こういう言葉になる。

変化が見られないので、施術方針を変えていきましょう。

アプローチを変えていきましょう。

この言葉が出るかどうかが、判断が行われている証拠だと思っている。

言う側にとって、気持ちのいい言葉ではない。自分が選んだ見立てと方法が当たっていなかった、と先に認めることになるからだ。黙って同じことを続けるほうが、その場は楽に決まっている。相手も、何も言われなければ、順調に進んでいるのだろうと思ってくれる。

それでも言うのは、言わないと次が決まらないからだ。変化が無かったという事実を口に出して初めて、では何を変えるのか、という話が始まる。この一言が無いまま次の回に進むと、何を変えたのか、あるいは変えていないのかが、どちらの側にも残らない。

そして、この言葉を聞いた側が「見放された」と受け取らないように伝えることも、こちらの仕事になると思っている。方針を変えるというのは、手を引くことではない。同じ相手に対して、別の入り口を探しに行く、という意味だからだ。体はいくつもの仕組みが重なってできていて、ある入り口から届かなくても、別の入り口からなら変化が出ることもある。

言葉にして口に出しているかどうかは、外から見える数少ない手がかりでもある。検査所見そのものは受けている側からは見えないが、判断が行われていれば、遅かれ早かれ言葉になって出てくるからだ。

4回くらいで、方針を変える

では、どれくらいで見切るのか。聞かれたら、こう答えている。

4回くらいですかね。症状によっても変わります。

後半を落とさないでほしい。急性の痛みと、何年も続いてきた状態とでは、変化の出方も、確かめるのにかかる回数も変わる。4は目安であって、定数ではない。

そのうえで、この節でいちばん書きたいのはここだ。

この4回は、受けている人に課す期限ではない。施術者が、自分に課す期限だ。

構図を見てほしい。「あと3回来てください」と言い続けられる立場にいるのは、施術者の側になる。予約を取るのも、次回を勧めるのも、こちらの側だ。その立場にいる人間が、自分に対して先に期限を切っておく——というだけの話になる。

なぜ期限が要るのか。期限が無いと、変化が無いまま同じことを続けられてしまうからだ。回を重ねるほど、「そろそろ変わるはずだ」と思いたくなる。積み上げた時間が惜しくなる。その思い込みは、内側からは切れない。だから外から切るために、あらかじめ数字を置いておく。

では、なぜ1回や2回ではないのか。ここは私の見立てになるが、理由は二つある。

一つは、1回目に出た変化が、そのまま続くとは限らないからだ。施術の直後は、私が見てきた範囲では、何かしらの反応が出ることが多い。その場で動きが変わることもある。けれど、そこで見えているのは「触られた直後の体」であって、その人がいつもの生活に戻ったときの体ではない。次に来たときにどこまで残っているかを見て、はじめて意味が読める。

もう一つは、逆方向の理由になる。1回で変わらなかったからといって、見立てが外れていると決めつけられないからだ。届くまでに何度かかかる場合がある。だから、1回の結果で切り上げるのも、判断としては早すぎる。

残るのか、戻るのか、少しずつ動いているのか。その傾向を読むのに、私の場合は4回あたりが目安になる、という話だ。回数そのものに根拠があるわけではなく、傾向が読めるところまで、という意味での4になる。

4回のあいだに検査所見が動かなかったとき、こちらがやることは決まっている。見立てを立て直すか、触る場所を変えるか、手技そのものを変えるか。あるいは、次に書くとおり、医療機関の受診をおすすめするか。

どれを選ぶにしても、共通しているのは「同じことをもう一度やらない」という点だ。同じ見立てで同じ手技を5回目に繰り返すなら、4回で確かめたことに意味が無くなる。

念のため、はっきり否定しておく。これは「4回受ければ効果が出る」という意味ではまったくない。4回は、変化が出る回数ではない。こちらが確かめ終える回数だ。何回で楽になるかは、症状によっても、その人によっても変わる。この記事が書けるのは、確かめる側が期限を持っているかどうか、というところまでになる。

効かなかったときに、何をするのか

検査所見が動かなかったとき、選択肢は二つある。

施術の角度を変えていく。もしくは、医療機関を受診してもらう。

「角度を変える」というのは、気持ちの持ちようの話ではない。具体的には、触る場所を変える、力の方向を変える、順番を変える、関節に向かっていたものを筋や皮膚といった軟部組織に切り替える、といったことになる。痛みのある場所ではなく、そこに負担をかけている別の場所から入り直すこともある。要するに、前の4回で試していない入り口を選び直す、ということだ。

ただし、この二つは対等な選択肢ではない。後者が先に来る場合がある。順番が入れ替わるのは、次のような症状があるときだ。

  • 手足のしびれが続いている、力が入らない
  • ろれつが回らない、顔や体の片側の感覚がおかしい
  • これまでに経験したことのない強い頭痛
  • めまい、ふらつき、ものが二重に見える
  • 症状が日を追って強くなっていく

こうしたものは、一般にレッドフラッグサイン(危険を知らせる兆候)と呼ばれる。これらがあるときは、徒手療法を受ける前に、まず医療機関を受診してほしい。何科にかかるかは症状による。首や腰の痛みが中心なら整形外科になる。しびれや脱力、言葉や視覚の異常があるときは、脳神経外科や救急も選択肢に入る。

ここで、恐怖を煽りたいわけではない。ただ、事実として書いておきたいことがある。

変化が無いまま通い続けることの最大のリスクは、痛みが取れないことではない。受診が遅れることだ。時間もお金も惜しいが、取り返しがつかなくなるのはそちらではない。

そして、これは私が言い出したことではない。

さきほどの1991年の通知は、研究会の報告書の内容を紹介したうえで、その報告内容を踏まえて今後の取扱いを以下のとおりとする、として四つの事項を定めている。先に引いた科学的評価の一文は報告書の認識だったが、この四つは通知自身の定めになる。その三つ目が「適切な医療受療の遅延防止」で、本文はこうなっている。

長期間あるいは頻回のカイロプラクティック療法による施術によっても症状が増悪する場合はもとより、腰痛等の症状が軽減、消失しない場合には、潜在的に器質的疾患を有している可能性があるので、施術を中止して速やかに医療機関において精査を受けること。

悪化した場合はもちろん、軽減も消失もしない場合には、施術を中止して医療機関で精査を受ける。35年前に、行政はここまで具体的に定めていた。

読み返してみて、少し驚いた。この記事でここまで書いてきた「4回くらいで変化が見られなければ方針を変える。もしくは、医療機関を受診してもらう」は、この三つ目とほとんど同じことを言っている。

前の記事でも、同じ構図に出くわした。通知が挙げた「手技によって症状を悪化しうる疾患」と、私が実際に手技を使わないと判断してきた状態が、大きく重なっていた。行政と現場が対立しているのではなく、同じものを見ている。今回も同じだった。

ただし、違いも書いておく。「施術を中止して速やかに精査を」は通知が定めた文言で、「4回」は私の目安にすぎない。数字のほうに行政の裏づけがあるわけではない。

だからこの記事は、「4回で変化が無ければ何もしなくていい」とは言わない。言っているのは逆で、変化が無いという事実が出たときこそ、次の行き先を決める必要がある、ということになる。何も起きていないように見える4回は、何も起きていないのではなく、確かめ終わった4回だ。

もう一点、書いておかなければならないことがある。さきほど腰痛のところで挙げた2019年の論文は、有害事象についても報告している。大半は一過性で、軽度から中等度のものだった。ただし、重篤な有害事象が1件、施術との関連の可能性ありと判断されている。そして論文自身が、臨床家は、施術を受ける人に有害事象の潜在的なリスクを伝えるべきであると書いている。ここでこれを書いているのは、そういう理由になる。

最後にもう一つ。施術のあとに症状が強くなったとき、「好転反応だから大丈夫」と説明されることがある。その説明を、受診を先延ばしにする理由にしないでほしい。強い症状、続く症状、増していく症状は、様子を見る対象ではない。

「人側の問題もあります」——確かめる側の話

ここまで、確かめ方の話を書いてきた。最後に、その確かめ方を握っている手そのものの話を書かなければならない。ここを書かずに終わると、この記事はただの自己紹介になる。

同時に触っているのに、一致しない

さきほどの Moran と Gibbons の研究に戻る。

あの研究で、2名の施術者は、同じ11人を同時に触っていた。だから「あの人は今日は調子が良かった」「触った時間帯が違った」といった説明は、そもそも使えない。体の側の変動では、結果の食い違いを説明できない設計になっている。

しかも、互いの結果は知らされていない。相手に合わせにいくことができない条件だ。人が誰かと一緒に何かを測るとき、無意識に相手の顔色を見て寄せてしまうことがある。その逃げ道も、あらかじめ塞いである。

だから、この研究の食い違いには言い訳がしにくい。「たまたま条件が違った」も「気を遣って合わせた」も使えないように組んである。ここが、この研究をまっすぐ受け取らなければならない理由になる。

では、食い違いはどこから来たのか。残るのは、触る側のどこかだ。

手そのものなのか。感じたものを数や言葉に置き換えるときの基準なのか。あるいは、測り方の設計そのものなのか。たとえば、二人とも同じものを感じていながら、「速い」と呼ぶ範囲が互いに違っていただけ、ということもありうる。この研究一本からは、どれとまでは決められない。決められないが、範囲は絞られる。少なくとも、体の側に理由を置いて済ませることはできない。

「人側の問題もあります」

この点についてどう考えているかを、はっきり限定して聞かれたことがある。同時に触っているのだから体の変動では説明がつかない、では触る側の問題か、言葉にする基準の違いか、測り方の問題か——と。

私の答えは、これだった。

人側の問題もあります。

これを書いているのは、徒手療法を仕事にしている人間だ。自分たちの手の側に問題が起きうる、と認めているのは、擁護する側に立っているはずの当事者になる。

ここで、3本の記事が一本の筋につながる。

首の音について書いた記事では、指先で関節の動きを読めるようになるまで、1年生から4年生まで毎日練習したと書いた。オステオパシーについて書いた記事では、12年やってきた今でも、これが本当にこういう動きをしているのか判断が難しい時がある、と書いた。そしてこの記事で、人側の問題もあります、と書いている。

三つは同じことを別の角度から言っている。練習が要るのは、触る側に問題が起きうるからだ。 手が常に正しいなら、練習は要らない。難しいと言い続ける必要もない。

そして、ここが「4回」とつながる。

自分の手が揺れうるものだと認めるなら、その手が出した結論を、期限を切って点検しないわけにはいかない。「人側の問題もあります」と言う人間が、「4回くらいで方針を変える」と言う。順番はこちらでなければならないと思っている。誠実さが先にあって、数字が後に来る。逆にすると、数字はただの売り文句になる。

では、回数と生活習慣の話は、どこに置くのか

回数が要ることも、日々の過ごし方が関わってくることも、実際にある。二つの研究を見せられて感想を求められたとき、私はこう答えた。

両方とも、人の体は一定ではなく、効果が見られるときもあれば見られないときもある。回数が必要なときもあるし、生活習慣が必要なときもある。

この言葉自体は、間違っていない。ただし、置く場所によって、意味が反転する。

正しく働く位置はここだ。検査所見で変化が確認できているときに、この先どう進めるかを説明する言葉として使う。 「ここが変わってきています。次はこの間隔で、こういう動かし方を足していきましょう」——これは、確かめた後の話になる。

反転するのは、変化が確認できていないときに、効かない理由の説明としてこれを使ったときだ。「まだ回数が足りない」「生活習慣のせいだ」。どちらも、確かめずに言える。そして、いくらでも言い続けられる。

そこで起きているのは、確かめることが回数の話にすり替わる、という現象だ。本来は確かめた結果として出てくるはずの言葉が、確かめない理由として先に出てきてしまう。

だから、この記事の答えはこうなる。回数の話は、確かめた後に来る。順番が逆になったときに、答えが返ってこなくなる。

これは、誰かの記事や誰かの説明を指して言っているのではない。言葉の置き場所についての整理だ。同じ一文が、置く位置で、誠実な説明にも、確かめないための言い訳にもなる。

まとめ

「効果があるか」を決めるのは、通った回数ではなく、確かめ方だった。

まず、混ざっていた二つの問いを分けた。療法そのものの根拠は研究が答え、自分に効いているかは臨床が答える。

研究の側は、領域ごとに答えが違っていた。腰痛については、他の推奨される治療と同程度と報告されている。ただし、いちばん確かめられていないのは偽の手技との比較で、そこは効果は不確実と考えるべきだとされていた。頭の骨の触診は、施術者どうしで結果が一致しないと報告されている。そして、効くとしてもなぜ効くのかは、論文自身が分かっていないと書いている。行政も35年前に「定まっていない」という認識を紹介していた。

臨床の側は、検査所見で確かめる。起点は本人の感覚ではない。そして4回くらいで、こちらが方針を変える。症状によって変わるし、それは効果が出る回数のことではない。

そのうえで、確かめている手そのものが揺れる。人側の問題もあります——これを書ける場所まで来たので、この記事はここで終われる。

この記事では「カイロプラクティック」という言葉について書いてきた。定義があり、国際的な教育の基準があり、良い結果も悪い結果も論文になっている言葉だ。だが日本で実際に受けられている手技の多くは、「整体」と呼ばれている。そして公的な資料は、整体には統一された明確な定義が無い、と書いている。定義の無いものについて、「効くのか」という問いは、そもそも成り立つのか。次はそこを見ていく。

よくある質問(FAQ)

Q. カイロプラクティックは効果がないのですか?

A. 「ある」「ない」のどちらでもまとめて答えられません。領域によって、確かめられている度合いが違うからです。慢性の腰痛については、推奨されている他の治療法と同程度と報告した研究がある一方、頭の骨のわずかな動きの触診については、施術者どうしで結果が一致しないという報告があります。効く仕組みについても、論文自身がまだ分かっていないと書いています。一言で答える記事があったら、どの領域の話なのかを確かめてください。

Q. 何回くらい通えば効果が分かりますか?

A. この質問は「何回で効くか」ではなく「何回で確かめるか」に読み替えると答えられます。私の場合は4回くらいを目安に、検査所見に変化が見られなければ施術方針を変えます。症状によっても変わります。ただし、これは「4回受ければ効果が出る」という意味ではありません。4回は変化が出る回数ではなく、施術者の側が自分に課している、確かめ終える期限です。

Q. 効果を実感できないとき、どうすればいいですか?

A. まず、上に挙げたレッドフラッグサイン(強いしびれ、脱力、経験したことのない頭痛、ろれつが回らない、症状が日を追って強くなるなど)があれば、施術より先に医療機関を受診してください。それがない場合は、施術者に「前と比べて、検査所見は何がどう変わりましたか」と聞いてみてください。変化を前後で見ている人なら、答えが返ってきます。効果を確かめる責任は、受けている側ではなく施術者の側にあります。

Q. 腰痛には効くと聞きましたが、本当ですか?

A. 2019年に BMJ に掲載されたシステマティックレビュー・メタアナリシスは、慢性の腰痛に対する脊椎マニピュレーションについて、中等度の質のエビデンスで、推奨されている他の治療法と同程度の効果だったとしています。「優れている」ではなく「並ぶ」という報告です。さらに、偽の手技と比べた場合についてはエビデンスの質が低いため、効果は不確実と考えるべきだ、と論文自身が述べています。また、これは腰痛についての報告であって、肩こりや頭痛、その他の症状に一般化できるものではありません。

Q. 施術者によって結果が違うのは、なぜですか?

A. 手で感じ取ったものを揃えること自体が難しい領域があるからです。2001年の研究では、2名の施術者が同じ人を同時に触っているにもかかわらず、記録されたリズムが互いに一致しませんでした。同時に触っている以上、体の側の変動では説明がつきません。残るのは触る側で、私自身も、人側の問題もあると考えています。だからこそ、前後を同じ手順で測って確かめる工程が要る、という話になります。

本記事の位置づけ

本記事は、査読を経た学術論文(PubMed収載の原著論文・総説)、厚生省健康政策局医事課長通知(医事第五八号)の原典、および執筆者自身が国際基準のカイロプラクティック課程を修了し、現在オステオパシーの課程で学びながら臨床にあたっている経験に基づいて作成したものです。特定の事業者・団体・手技流派を批判・示唆する意図はなく、いずれかの徒手療法が他より優れている、あるいは劣っていると述べるものでもありません。

本文中の「4回くらいで方針を変える」「変化が見られないので施術方針を変えていきましょう」といった記述は、執筆者が自身の臨床で用いている判断の目安と実際の言葉であり、効果が出る回数を示すものでも、他の施術者がとるべき基準を示すものでもありません。症状によって変わります。

本文で紹介した腰痛に関する研究は慢性腰痛に対する脊椎マニピュレーションを対象としたものであり、他の症状や他の領域に一般化できるものではありません。その論文自身が、偽の手技と比較した場合の効果は不確実と考えるべきであると述べており、また、施術に伴う有害事象の潜在的なリスクを伝えるべきであるとしています。頭蓋の触診に関する報告、および徒手的な操作の機序に関する記述も、それぞれの論文が述べている範囲を超えて解釈できるものではありません。

本記事は、特定の施術によって症状が改善することを保証するものではなく、医療行為・診断に代わるものでもありません。症状の判断や、施術を受けるかどうかの判断が必要な場合は、医療機関にご相談ください。

制度・情報は執筆時点(2026年9月22日確認)のものです。

参考文献・出典

  • Rubinstein SM, de Zoete A, van Middelkoop M, Assendelft WJJ, de Boer MR, van Tulder MW. Benefits and harms of spinal manipulative therapy for the treatment of chronic low back pain: systematic review and meta-analysis of randomised controlled trials. BMJ. 2019 Mar 13;364:l689. PMID: 30867144
  • Moran RW, Gibbons P. Intraexaminer and interexaminer reliability for palpation of the cranial rhythmic impulse at the head and sacrum. J Manipulative Physiol Ther. 2001 Mar-Apr;24(3):183-90. PMID: 11313614
  • Pickar JG. Neurophysiological effects of spinal manipulation. Spine J. 2002 Sep-Oct;2(5):357-71. PMID: 14589467
  • Kawchuk GN, Fryer J, Jaremko JL, Zeng H, Rowe L, Thompson R. Real-time visualization of joint cavitation. PLoS One. 2015 Apr 15;10(4):e0119470. PMID: 25875374
  • Rizvi A, Loukas M, Oskouian RJ, Tubbs RS. Let’s get a hand on this: Review of the clinical anatomy of “knuckle cracking”. Clin Anat. 2018 Sep;31(6):942-945. PMID: 30080300
  • 厚生省健康政策局医事課長通知「医業類似行為に対する取扱いについて」(平成3年6月28日 医事第五八号):厚生労働省 法令等データベース

執筆者

山﨑駿(やまざき しゅん)

あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師・柔道整復師(すべて国家資格)/Doctor of Chiropractic(D.C.、Tokyo College of Chiropractic・CCEA認可課程)/オステオパシー(D.O.課程)専攻中。臨床歴12年、のべ数万人の身体に向き合ってきた施術者です。

【学歴】日本工学院八王子専門学校 柔道整復科 卒業/東京呉竹医療専門学校 鍼灸あん摩マッサージ指圧科 卒業/東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(旧RMITカイロプラクティック学科日本校)卒業/日本福祉大学 通信教育部 福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科 卒業/スティル・ジャパン・アカデミー(オステオパシー専門教育)在学中。

保有資格の詳細は運営者プロフィールをご覧ください。

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