オステオパシーが怪しく見えるのは、手技が怪しいからではない。
同じ「オステオパシー」という一語が、国をまたぐと三つの違うものを指しているからだ。アメリカでは医師の資格を指す。イギリスでは、登録しなければ名乗ることすら犯罪になる職業を指す。そして日本では、何も指さない。
そして、怪しいと感じたこと自体は正しい反応だと思う。情報が足りないときに警戒するのは、判断力が働いているということだ。この記事は「怪しくありません」と弁明するために書いていない。
前回、関節を素早く小さく動かす方法を使わないと判断したとき、では代わりに何をするのか——という問いを残した(首をボキボキ鳴らすのはなぜ気持ちいい?音は目的ではない)。その答えのひとつが、この記事の主題になる。
まず輪郭を描く。次に、怪しさの理由を「制度の分かれ方」と「手が感じているものの見えなさ」に分けて見る。そのうえで、私が何年かけて何ができるようになり、何がいまだにできないのかを書く。
オステオパシーとは何か
私は、こう定義している。
オステオパシーとは、全身のつながりを見て体の変化を感じ取り、体の自然治癒力を回復させる、手を使って行う徒手医療であり、素晴らしいものだと思います。
ただし、この定義に出てくる「自然治癒力」という言葉には、注釈が要る。これは、手技が病気を治すという意味ではない。体には元々、元の状態へ戻ろうとする働きがある。その働きが出やすい条件を手で整えようとする——私が考えているのは、その範囲のことだ。効果を約束する言葉として使っているのではない。
輪郭としては、三つの点で描けると思う。
一つ目は、手だけで行う、という点だ。器具も薬も使わない。こうした方法をまとめて徒手療法(としゅりょうほう。手だけで行う施術)と呼ぶ。
二つ目は、体を全身で一つのものとして見る、という点になる。症状のある場所だけを部品として扱わない。
三つ目が、日本の読者にとって最も分かりにくいところだと思う。扱う範囲が背骨に限られない。頭の骨、内臓、体液の流れといった領域までが対象に入ってくる。
そして正直に言えば、この三つ目こそが「怪しい」と検索される最大の理由でもある。その引っかかりは、記事の後半でまっすぐ扱う。
19世紀のアメリカで始まった
成り立ちにも触れておく。米国オステオパシー医学大学協会(AACOM)の年表によれば、1874年にアンドリュー・テイラー・スティルがオステオパシーの医学思想を確立した。AACOMは2024年6月22日を、創始から150年の節目として記念している。最初の学校は1892年、ミズーリ州カークスビルに開かれた American School of Osteopathy で、現在の A.T. Still University にあたる。
歴史として書けるのは、ここまでにする。
ただし、創始者が19世紀に何を主張したかは、いま行われていることの根拠にはならない。この記事では、現在の教育課程と、現在確かめられていることだけを扱う。150年前に誰かが言ったことをそのまま正しさの根拠に使う、という作法は、どの医療分野でも取らない。オステオパシーだけが例外であっていい理由はない。
では、なぜこれが「怪しい」と検索されるのか。理由は二つに分けられる。
理由①:「オステオパシー」という名前が、国をまたぐと三つに割れる
アメリカでは、医師の資格を指す
アメリカで「オステオパシー」の名を冠した資格が指しているのは、医師だ。
米国国立医学図書館(NLM)が運営する一般向け医療情報サイト MedlinePlus は、D.O.(Doctor of Osteopathic Medicine)について、こう書いている。
A doctor of osteopathic medicine (DO) is a physician licensed to practice medicine, perform surgery, and prescribe medicine.
医業を行い、手術を行い、薬を処方する免許を持った医師である、という説明になる。教育課程も、医学部4年はM.D.(一般的な医師)と同じで、そこに手技と筋骨格系についての追加の訓練が300〜500時間分加わる。専門分野に進む場合は、2〜6年のレジデンシー(卒後研修)を経て、M.D. と同じ専門医認定試験を受ける。
つまりアメリカでは、その肩書きを持つ人は医師である。日本の読者が「オステオパシー」と聞いて思い浮かべる手技の専門家とは、そもそも身分が違う。
イギリスでは、医師ではない専門職として制度がある
ヨーロッパには、医師ではない専門職として、国が登録制度を持っている国がある。ここでは、原典をたどれたイギリスの例を挙げる。
イギリスには Osteopaths Act 1993(1993年オステオパス法)という法律がある。第1条で General Osteopathic Council(一般オステオパシー評議会)という機関を設置し、登録された者だけが osteopath として活動できる仕組みを作った。
そして、日本の読者に最も驚かれるのは第32条だと思う。見出しは Offences、つまり犯罪だ。登録していない者が、明示的であれ暗示的であれ(whether expressly or by implication)、osteopath、osteopathic practitioner、osteopathic physician、osteopathist、osteotherapist などと自称することが、犯罪として定められている。罰金は、原文の表記で a fine not exceeding level five on the standard scale とされている。
施術をしたかどうかではない。名乗っただけで、罪になる。
イギリスの osteopath は医師ではない。医師ではないが、国の登録簿に載っていなければ名乗ることすらできない職業として位置づけられている。アメリカとも日本とも違う、三つ目の形だ。
日本には、制度が無い
日本には、オステオパシーの資格制度が無い。国家資格も、法律に基づく登録制度も存在しない。
だから、今日から「オステオパス」と名乗ることができる。名乗ったこと自体を罰する条文が、日本には無いからだ。
なぜそうなっているのかは、カイロプラクティックについて前に書いた記事で確認した。日本の法律は、人の健康に害を及ぼすおそれのない行為までは禁じない、という構造になっている(カイロプラクティックとは?国家資格に「できない」理由)。有害でなければ規制されない。だから免許制度も作られない。オステオパシーにも、まったく同じ理由で法的な資格制度が存在しない。
この「無い」は、日本のオステオパシーが劣っているという意味ではないし、安全だと国が認めたという意味でもない。法律が触れていない、というだけの意味だ。ただしその結果として、長い教育を受けた人と、まったく受けていない人が、同じ言葉を看板に出せる状態になっている。
私が学んでいるのは、どれなのか
ここで、この記事を書いている私自身について、誤解されないように書いておく。
私が在学しているのは、アメリカの医師を養成する課程ではない。ヨーロッパ系の系譜に連なるオステオパシーの専門課程で、修了時の学位の名称もフランス語の Diplôme d’Ostéopathie になる。講義に出てくる用語にも、フランス語由来のものが混ざる。アメリカの Doctor of Osteopathic Medicine とは、略号が同じだけで、別のものだ。
そして、私が学んでいるのは日本国内だ。日本にはオステオパシーの資格制度が無いのだから、私がこの課程を修了しても、日本の法的な資格が一つ増えるわけではない。増えるのは、受けた教育の中身だけになる。
なぜわざわざこれを書くかというと、「D.O.」という3文字が、国によって別のものを指しうるからだ。看板やプロフィールでこの3文字を見たとき、それがどの国の、どの課程のものなのかは、3文字だけからは分からない。
| 国・地域 | 「オステオパシー」が指すもの | 医師か |
|—|—|—|
| アメリカ | 医学部4年とレジデンシーを経て免許を得たD.O.(Doctor of Osteopathic Medicine) | 医師 |
| イギリス | Osteopaths Act 1993 に基づき登録された osteopath | 医師ではない |
| 日本 | 法的な定義なし。誰でも名乗れる | 制度上の位置づけなし |
同じ言葉を聞いても、相手が受けた教育は三通りありうる。だから、言葉だけでは分からない。これが怪しさの半分だと思う。
理由②:手が感じているものは、外から見えない
もう半分は、手が何を感じているのかが、外から見えないという点にある。頭の骨を触る、内臓に触れる。説明を読んで引っかかるのは当然だ。ここは、擁護せずに線を引く。
頭の骨は、大きくは動かない
いちばん誤解されている点から書く。
頭の骨は、縫合(ほうごう。骨と骨がぎざぎざと噛み合っているつなぎ目)で関節をしているので、それほど大きな動きはない。私はそう教わってきたし、そう理解している。
「頭蓋骨が大きく動きます」「手で頭の骨を動かして形を変えられます」といった説明を見かけることがあるが、私はその立場を取らない。
そのうえで、私自身が感じていることを書く。呼吸をしたりすると、わずかに縫合が開いたり閉じたりする——私の手には、そう感じられる。一般の方には、その動いている感覚を感じ取ることはできないと思う。だからこそ、それを感じ取ろうとするのが施術者の側の仕事になる。
ただし、ここは正直に書いておく。頭の骨がどれだけ動くのか、そしてその動きを手で捉えられるのかどうかは、科学的に決着していない領域だ。だから私は「動きます」と断定しない。「私はこう教わり、こう感じている」までにしておく。
では、何を感じているのか
頭に手を当てたとき、私が感じているものを挙げる。
一つは、頭の形の左右差だ。人の頭は、左右で形が違っていることがある。これは触れれば分かる。
二つ目は、頭皮と、頭にある筋肉の状態になる。これも、触れて分かる範囲のものだ。
三つ目が、いちばん説明の難しいところだ。脳脊髄液(のうせきずいえき。脳と脊髄のまわりを満たしている液体)と呼ばれる、頭の中を流れている水分・組織。これについては、「感じ取れます」と一般化して書くことができない。私の手がそれを捉えていると言い切るだけの根拠を、私は持っていないからだ。
ただし、「一般の人には分からない」という言い方は、そのまま検証から逃げる口実にもなりうる。だから次に、逃げないための線を引く。
医師も、手で触れて確かめている
内臓についても、同じことを書いておきたい。
関節や筋肉に触れるのと同様に、内臓に触れてその変化を感じ取ることも大切だと私は考えている。怪しいと思われるかもしれないが、医師でも虫垂炎や腹部大動脈瘤の際などには腹部の触診(しょくしん。手で触れて体の状態を確かめること)を行う。手で触れて情報を得るという行為そのものに、医学的な怪しさは一切ないと考えている。
ただし、この論法はここで止めておかなければならない。
「医師も触診する」という事実から言えるのは、手で触れて情報を得ること自体は医学の外にある行為ではない、というところまでだ。それは、「頭のわずかな動きを手で触知できる」ことの証明にはならない。論点が別だからだ。腹部の触診で医師が確かめているのは、圧痛や拍動、しこりといった、比較的はっきりした所見になる。一方、頭のわずかな動きを触れて捉えるという話は、それより何桁も細かい。前者が普通に行われていることは、後者を保証しない。
この区別は、私の側から書いておきたい。どこまでが医療で普通に行われていることで、どこから先がまだ確かめられていないのか。その線を引くことが、「怪しい」への一番誠実な答えだと思うからだ。
領域ごとに、確かめられている度合いが違う
もう一つ、線を引いておく。「オステオパシー」と一括りに呼ばれているものは、領域によって研究の積み上がり方がまるで違う。
たとえば腰痛は、積み上がっている側になる。2014年に BMC Musculoskeletal Disorders に掲載された Franke らのシステマティックレビュー・メタアナリシス(複数の研究を集めて統合的に分析した研究)は、15の研究を対象に、非特異的腰痛(特定の病気に原因を絞り込めない腰痛)への徒手療法について、中等度の質のエビデンスで、3か月後の痛みと機能状態に有意な差があったと報告している。
ただし、この論文自身が結論で、より大規模で質の高いランダム化比較試験が推奨される、と書いている。「効果が証明された」と読むには早い。そして、これは腰痛についての報告であって、頭や内臓の話に持ち込めるものではない。
「今でも判断が難しい」——習得の話
最初は、全く感じることができなかった
ここからは、できた話ではなく、できなかった話を書く。
最初は、全く感じることができなかった。
最初に手を当てたとき、何かを感じてはいる。けれど、それが何なのかは全く分からなかった。手のひらの下に何かがある、という感覚だけがあって、それを言葉にすることも、意味づけることもできない。
指先で関節の動きを読めるようになるまでに、1年生から4年生まで毎日練習した話は前回書いた(首をボキボキ鳴らすのはなぜ気持ちいい?音は目的ではない)。今回の話は、それよりさらに細かい。同じ「手で分かるようになる」でも、かかる時間も、確からしさも違う。
手に、経験値が積み上がる
では、どうやって分かるようになったのか。方法らしい方法は、無い。
何回も何回も、いろんな人の頭を触っているうちに、違いが分かってくる。僕の手に経験値が積み上がっていく、という感覚だ。それを統合していくと、正確な手に出来上がってくる。
一人の頭だけを触っていても、何も分からない。比べる相手がいないからだ。素質の話ではなく、触れた人数と時間の話だと思っている。
今でも、難しい
そのうえで、書いておかなければならないことがある。
とても繊細で、今でもこれが本当にこういう動きをしているのか判断が難しい時もある。
これは謙遜でも、予防線でもない。12年やってきて、いまだにそうだ、という事実の報告だ。これから先も常に鍛錬・練習を続けることで、もっともっと上達していくものだと思っている。
面白いのは、この実感が、文献の示していることと同じ方向を向いていることだ。
2001年に Journal of Manipulative and Physiological Therapeutics に掲載された Moran と Gibbons の研究がある。登録された2名のオステオパスが、健常な11名の頭部と仙骨に同時に触れ、互いの結果を知らされない条件で、触知したリズムの速さを記録したものだ。結果は、同じ検者が繰り返した場合の一致(検者内信頼性)は fair to good、級内相関係数で +0.52〜+0.73。ところが2人のあいだの一致(検者間信頼性)は poor to nonexistent、同 -0.09〜+0.31 だった。頭部と仙骨で触知された速さにも有意な差があり、著者らは、頭と仙骨が連動して動くとする仮説を支持しないと結論している。
私の手の感覚と、この報告は、矛盾していない。同じ人の手は、ある程度まで再現する。けれど、別々の人の手のあいだでは揃わない。「今でも判断が難しい時がある」というのは、まさにそういう領域の話だ。
この文献を、否定するために引いたのではない。擁護するために引いたのでもない。分かっていないことを、分かっていないと書いておくために引いた。
こんなときは、医療機関へ
判断材料の話を続ける前に、安全の話を先に済ませておく。
次のような症状があるときは、徒手療法を受ける前に、まず医療機関を受診してほしい。
- 手足のしびれが続いている、力が入らない
- ろれつが回らない、顔や体の片側の感覚がおかしい
- これまでに経験したことのない強い頭痛
- めまい、ふらつき、ものが二重に見える
- 症状が日を追って強くなっていく
こうしたものは、一般にレッドフラッグサイン(危険を知らせる兆候)と呼ばれる。これらに関しては、医療機関を受診してから、こういった徒手療法を受けるのがベストな選択だと私は考えている。
何科にかかるかは症状による。首や腰の痛みが中心なら整形外科になる。しびれや脱力、言葉や視覚の異常があるときは、脳神経外科や救急も選択肢に入る。
もう一つ。施術のあとに症状が強くなったとき、「好転反応だから大丈夫」と説明されることがある。その説明を、受診を先延ばしにする理由にしないでほしい。強い症状、続く症状、増していく症状は、様子を見る対象ではない。
背骨の専門家が、なぜさらに学びに行ったのか
カイロプラクティックの課程では習わなかった領域
ここから後半は、施術者や学生の方に向けた話になる。
私はカイロプラクティックの国際基準の課程(Doctor of Chiropractic)で4年間、背骨の専門家としての教育を受けてきた。そのうえで、さらにオステオパシーの課程に入った。なぜか、という話をする。
オステオパシーの得意分野となる領域——頭蓋骨への施術や内臓への施術、あとは血液、リンパといったところへのアプローチは、カイロプラクティックの学校では習うことがなかった。
これは、カイロプラクティックの欠点ではない。専門領域の切り分けの話だ。カイロプラクティックは背骨を通して体の自然治癒力を促す、いわば背骨のスペシャリストとしての体系で、あの4年間は背骨に集中して積み上げるように設計されていた。だから背骨以外の領域が入っていないのは、そういう設計だった、というだけのことになる。
そして私は、実際に頭蓋骨への施術や内臓への施術も必要だと感じていた。より多くのことを、体系的に、国際基準で学びたい。それができるのがオステオパシーの学校で、だからもう一度、学校に通うことになった。
そもそも背骨と症状が結びついていない可能性もある
この章の核は、ここになる。
カイロプラクティックでは背骨を通して症状の結びつきを考えていく。けれど、そもそも背骨と症状が結びついていない可能性もある。例えば筋肉が損傷している場合、背骨云々よりも、まずは筋肉の修復が先決だ。
背骨の専門教育を4年間受けた人間が、これを書いている、というところを読んでほしい。自分が最も時間をかけた道具が、目の前の人にとって最短の道ではないことがある。それを認めるところから、別の選択肢が要るという話が始まる。
人間の体は、全身それぞれが機能を果たし、生きることにつながっている。背骨だけでは、もちろん生きていけない。
実際に、背骨へのアプローチで早く変化が出る方もいれば、少しずつ変化が出る方もいる。そういったときに、別の方向からアプローチをすることで、より体に反応を起こさせる方法も出てくる。
逆の判断もある。頭や内臓の側よりも、背骨や軟部組織、関節といった他の場所での問題が大きいため、まずはそちらから施術をする場合がある。
前回の記事と同じ原理になる。決めているのは技法の優劣ではなく、目の前の人の状態だ。総合的・全体的に体のつながりを見て、手で感じる——それが、私の目指しているスタイルになる。
見る場所が増えると、難しくなる
ただし、扱う範囲を広げることは、そのまま得をすることではない。
見る場所が多くなるということは、それだけ専門性も高くなるため、非常に難しい分野になる。しっかりと学ぶ価値のある領域だと思うが、簡単になるわけではない。
ここで、誤解されやすい点を自分で訂正しておく。さきほど「今でも判断が難しい」と書いたが、それは「手を当てても何も感じない日がある」という意味ではない。
その日手を当てても何も感じないということは、基本的にはない。生きている人というのは、必ず生命の動きがある。なので何も無いということはない。難しいのは、そこに施術をするかどうかの判断のほうだ。
感じるか感じないか、ではない。感じたものをどう扱うか、のほうが難しい。
だから検査は、必ず全身を見て、まずは体のつながりから入ることになる。触れないということはない。全身を一つとして見る、というのは思想の話ではなく、順序の話だと私は理解している。
制度が無い国で、何を手がかりにするのか
制度が無い国で、では何を手がかりにすればいいのか。
先に断っておくと、この記事では「こういう施術者を選びましょう」とは書かない。それを書けるだけの根拠を、私は持っていないからだ。書けるのは、世界にはこういう物差しが存在する、という事実までになる。
WHO(世界保健機関)は2010年に、オステオパシーの教育に関するベンチマーク(基準となる目安)の文書を出している。カイロプラクティックについて2006年に同じ性質の文書があったのと、構造としては同じだ。
この文書は、訓練課程を二つの類型で示している。
Type I は、医療の事前訓練がほとんど無い人を対象にした課程だ。典型的には4年のフルタイムで、合計4200時間。そのうち1000時間以上が、監督下での臨床実践と訓練にあてられる。
Type II は、すでに医療専門職としての訓練を受けている人を対象にした課程になる。目的も内容も Type I と同じだが、その人がすでに持っている経験と訓練に応じて、内容と長さが調整される。典型的な長さは1000時間とされている。
ここを誤読しないでほしい。短いから薄い、ではない。同じ文書には、こう書かれている。
Graduates of Type II programmes must demonstrate the same competencies of osteopathy as graduates of Type I programmes.
Type II の修了者は、Type I の修了者と同じコンピテンシー(到達すべき能力)を示さなければならない、という意味になる。前提が違うから短いのであって、到達点は同じところに置かれている。
念のために書くと、私の在学している課程が公式にどちらの類型に認定されている、という話をしているのではない。すでに医療の訓練を受けた人がオステオパシーを学ぶ道筋が、国際的な文書の中に位置づけられている——この文書から言えるのは、ここまでだ。
そのうえで、私の考えを書く。法制度のない国の基準による講義だけでは、世界と比べたときにカリキュラムの内容が薄く、劣ってしまうことがある。一方、国際基準の課程であれば、世界水準に合わせてカリキュラムが作成されているため、非常にレベルの高い教育を受けることができる。カイロプラクティック、鍼灸、オステオパシーは、それぞれ海外では資格制度があり、エビデンスや研究なども蓄積されている。どの徒手療法も、素晴らしいものだと思っている。
そして、ここは厳しく書く。ビジネス目的で稼ぐためにその名前を使う、といった安易な考えでは、受ける人の健康を損なうことにもつながるため、良くないことだと感じている。ただ、法律上それを取り締まることは難しい(カイロプラクティックとは?国家資格に「できない」理由)。有害でなければ規制されない、という構造が、そのまま名前の使い方にも効いてくるからだ。
これは特定の誰かについての話ではない。制度が無いということは、名前の使い方に歯止めが無いということだ、という一般論になる。
だが、制度が無いことは、判断材料が無いことと同じではない。世界には物差しがあり、それは公開されている。
まとめ
怪しさの正体は、手技ではなく、一語の広さにあった。アメリカでは医師を指し、イギリスでは登録しなければ名乗ることすら犯罪になる職業を指し、日本では何も指さない。同じ言葉を聞いても、相手が受けた教育は三通りありうる。
だから、怪しいと感じたのは正しい反応だ。言葉だけでは分からないものを、言葉だけで判断しなかった、ということだからだ。
この記事がしたのは、線を引くことだった。手で触れて情報を得ること自体は、医学の外にある行為ではない。けれど、頭のわずかな動きを捉えるという話は、まだ確かめられていない側にある。私自身、今でも判断が難しい時がある。
ここまで、決着していない、まだ分かっていない、と何度か書いた。頭の骨がどれだけ動くのか。手が感じ取っているものが何なのか。正直に書けば、そういう領域だ。前回の記事で引いた1991年の通知も、「科学的評価は未だ定まっておらず、今後とも検討が必要である」と書いていた。では、徒手療法には、どこまで根拠があるのか。二度先送りにしてきたこの問いを、次に扱う。
よくある質問(FAQ)
Q. オステオパシーとカイロプラクティックは何が違うのですか?
A. 成り立ちと、主に扱う範囲が違います。カイロプラクティックは背骨を中心に据えた体系で、オステオパシーは背骨に限らず、頭の骨や内臓、体液の流れといった領域までを扱います。ただし、どちらが優れているという話ではありません。日本ではどちらにも法的な資格制度が無く、海外ではどちらにも資格制度と研究の蓄積があります。
Q. 頭の骨は本当に動くのですか?
A. 頭の骨は縫合というつなぎ目でつながっており、大きくは動きません。私自身も「大きく動かせる」という立場は取っていません。わずかな動きを手で触知できるかどうかは、科学的に決着していない領域です。2001年の研究では、2人の施術者のあいだで触知したリズムが一致しないと報告されています。私自身、今でも判断が難しい時があります。
Q. 内臓を手で触って分かるものなのですか?
A. 腹部の触診そのものは、医療の中で普通に行われています。医師も虫垂炎や腹部大動脈瘤の際には腹部に触れて確かめます。ただし、触診が一般的であることと、徒手療法が主張する範囲の細かい触知が確かめられていることは、別の話です。前者は後者を保証しません。この区別は、記事の中で意識して書いています。
Q. オステオパシーを受けたあとに症状が悪化することはありますか?
A. 施術のあとに体の感じ方が変わることはあります。ただし、症状が強くなった場合は自己判断せず、医療機関を受診してください。「好転反応だから大丈夫」という説明を受けても、それを受診を先延ばしにする理由にしないでください。効果についても安全性についても、一律に断定できるものではないと考えています。
Q. 日本にオステオパシーの国家資格はありますか?
A. ありません。国家資格も、法律に基づく登録制度も存在しないため、法的には誰でもその名前を名乗れます。カイロプラクティックとまったく同じ理由で、日本の法律は人の健康に害を及ぼすおそれのない行為までは禁じないという構造になっているためです。イギリスのように、登録せずに名乗ること自体が犯罪となる国とは対照的です。
本記事の位置づけ
本記事は、米国国立医学図書館(NLM)MedlinePlus、米国オステオパシー医学大学協会(AACOM)、イギリスの Osteopaths Act 1993(legislation.gov.uk 掲載の原文)、世界保健機関(WHO)の教育ベンチマーク文書、査読を経た学術論文、および執筆者自身が国際基準のカイロプラクティック課程を修了し、現在オステオパシーの課程で学びながら臨床にあたっている経験に基づいて作成したものです。特定の事業者・団体・手技流派を批判・示唆する意図はなく、いずれかの徒手療法が他より優れていると述べるものでもありません。
本文中の触診に関する記述(呼吸に伴う縫合の動きの感覚、頭の形の左右差、頭皮や筋肉の状態など)は、執筆者が学び、臨床で感じてきた一人称の記述であり、科学的に確立した事実として述べるものではありません。頭蓋の可動性および頭蓋リズムの触知については、現時点で科学的な決着がついていない領域です。また、本文で紹介した腰痛に関する研究は非特異的腰痛を対象としたものであり、他の症状や他の領域に一般化できるものではありません。
執筆者が在学しているのはヨーロッパ系の系譜のオステオパシー課程であり、アメリカの Doctor of Osteopathic Medicine(医師免許)の課程ではありません。
本記事は医療相談・法律相談を目的としたものではありません。症状の判断や、施術を受けるかどうかの判断が必要な場合は、医療機関にご相談ください。
制度・情報は執筆時点(2026年9月11日確認)のものです。
参考文献・出典
- 米国国立医学図書館(NLM)MedlinePlus 医学百科事典(Doctor of osteopathic medicine に関する項目):https://medlineplus.gov/ency/article/002020.htm
- 米国オステオパシー医学大学協会(AACOM)オステオパシー医学教育150年(OME150):https://www.aacom.org/about-us/ome150
- Osteopaths Act 1993(1993 c. 21):legislation.gov.uk
- World Health Organization. Benchmarks for training in traditional / complementary and alternative medicine: benchmarks for training in osteopathy. Geneva: WHO; 2010. ISBN 9789241599665:WHO
- WHO「カイロプラクティックの基礎教育と安全性に関するWHOガイドライン」(2006年)※本文で「カイロプラクティックにも同じ性質の文書がある」と述べた箇所の出典。内容はカイロプラクティックとは?国家資格に「できない」理由で扱っている
- Franke H, Franke JD, Fryer G. Osteopathic manipulative treatment for nonspecific low back pain: a systematic review and meta-analysis. BMC Musculoskelet Disord. 2014 Aug 30;15:286. PMID: 25175885
- Moran RW, Gibbons P. Intraexaminer and interexaminer reliability for palpation of the cranial rhythmic impulse at the head and sacrum. J Manipulative Physiol Ther. 2001 Mar-Apr;24(3):183-90. PMID: 11313614
- 厚生省健康政策局医事課長通知「医業類似行為に対する取扱いについて」(平成3年6月28日 医事第五八号):厚生労働省 法令等データベース
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執筆者
山﨑駿(やまざき しゅん)
あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師・柔道整復師(すべて国家資格)/Doctor of Chiropractic(D.C.、Tokyo College of Chiropractic・CCEA認可課程)/オステオパシー(D.O.課程)専攻中。臨床歴12年、のべ数万人の身体に向き合ってきた施術者です。
【学歴】日本工学院八王子専門学校 柔道整復科 卒業/東京呉竹医療専門学校 鍼灸あん摩マッサージ指圧科 卒業/東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック(旧RMITカイロプラクティック学科日本校)卒業/日本福祉大学 通信教育部 福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科 卒業/スティル・ジャパン・アカデミー(オステオパシー専門教育)在学中。
保有資格の詳細は運営者プロフィールをご覧ください。
